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help リーダーに追加 RSS いわき市にもあった「青い目の人形」・・いわき市小川小学校

<<   作成日時 : 2008/02/03 17:29   >>

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今回、戊辰戦争の話は休んで人形の話を。
野口雨情の唄の中に「青い目の人形」という曲があるのを御存知の方も多いと思います。

青い眼をしたお人形はアメリカ生れのセルロイド

日本の港へついたとき一杯涙をうかべてた

「わたしは言葉がわからない迷ひ子になつたらなんとせう」
やさしい日本の嬢ちやんよ仲よく遊んでやつとくれ


と言う唄ですが、これは、雨情さんが大正10(1922)年に雑誌「金の船」に掲載したものです。彼の娘さんが青い目のセルロイド人形(キユーピー人形)で遊んでいる姿を見てつくられた曲です。
そのころのカルタ(童謡館所蔵)
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作曲は「本居長世」さんで中山晋平さんらと同様、野口雨情と組んで次々童謡を世に出した方です。その娘さん達(3人)と共に全国で公演を行い童謡の普及に大きな役割を果たしています。さて、この時代の頃は日本から海外へ移民する人達が増えていました。この福島県からもハワイや遠くペルーなどへも移民しています。低賃金で働く日本人(中国人もそうですが)が増えた事で白人労働者達の反感をかい排日運動へとつながり日米関係が悪化しつつありました。しかし大正12年(1924)に関東大震災が起こります。この時日系米国人を中心として(もちろんハワイ移民も含みます。苦しい生活の中から援助をしてくれたといいます)アメリカから援助物資が送られました。又、関東復興には、大量の債権が発行されアメリカの国際金融の雄・モルガン商会(現モルガンスタンレー証券)が大量に引き受けた事やフォード車の大量輸入による交通インフラ整備なども大きく関わっています。そんなこんなで、本居長世さんと、その娘達はアメリカへ派遣された答礼団の一員としてアメリカにわたり「青い目の人形」を始めとする童謡を紹介し好評を得ました。その事もあったせいか当時、日米関係の悪化を憂いていたシドニー・ギューリックさんという日本で牧師さんをして滞日20年という知日家の方が全米に呼びかけて日本の子供達に人形を贈ろうという計画が起ちあがりました。このキャンペーンの反響は大きく、総計12,739体の人形が集まりました。そのほとんどが目が開閉し、寝かせると「ママー」と泣く特注の女の子の人形(通称リトル・メリー)で、中には男の子もありましたが様々な衣装を着せられ各々名前を付けて日本の小学校・幼稚園に送られました。人形達は昭和2年(1927)ころから人形旅行局発行のパスポートと切符を持ち船でやってきたのです。そして日本からも、その答礼として子供達から集めた寄付でベテラン人形師に作成された58体の人形がアメリカに贈られました。
童謡館所蔵の書籍からの写真
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しかし、その後訪れた金融恐慌や朝鮮半島インフラ整備の出費などに加え、各国の経済ブロック化により経済状態が極めて悪化した日本。こうして日本は本格的な中国大陸進出を計画、満州国の設立などを行ないました。その人口数や資源から莫大な利益を生み出す中国大陸。日本政府が諸外国に弁明するなか、際限なく暴走する陸軍により大陸に権益を持つ諸外国と対立。もちろん中国自身も黙っている訳もなく段々戦争状態の拡大につながり、結果、アメリカ・イギリス・オランダなどの経済制裁を受け、にっちもさっちもいかなくなり、撤退しようにも中国に大量の投資・開拓団などの移民が行なわれている現状・対中戦争の死傷者増大もあり国民にも申し開きが出来ず、今更、後に引けないという八方塞がりになってしまいました。結果アメリカのハル・ノートと呼ばれる最後通牒も受け入れる事もできず対米戦争へと突き進んでいきます(太平洋戦争)。この戦争の結果、関係のない人形達までアメリカのスパイであるとして警察まで狩り出し人形の焼却が行なわれました。アメリカではそのような事は無く人形は故意に壊される事はありませんでした。(現在18体のみ確認)逆に日本では人形を竹やりで刺したりして歓声を上げたりした事もあったようです。そんな中、一部の心ある教師などによって一部がかくまわれました。ある場所では警察が来るというのであわてて棚の後ろに隠し難をのがれたりしてます。その数僅か200体程でした。心に残ったのは、どこの学校の話だったか忘れて申し訳ないですが、人形を箱の中に隠して戦争中守った先生の話で「子供達(戦争に行って死んだ教え子達)も箱に隠して守ってあげたかった」という話には泣けました。.・゚・+゚・(つд`)・゚+・゚・.

そして以前、ネット検索でいわき市の「小川小学校」にも青い目の人形「リトルメリー」がある事が分かっていた事から、自分の所属する「夢わく市民会議」の白土会長→「高久小学校」の角張校長先生→「小川小学校」鈴木校長先生に話しを持っていってもらい先日、撮影にいってまいりました。
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小川小学校においては人形の本当の名前など詳しい事は分かっていませんが当時、警察に確認までさせて人形を処分していた状況から誰か心ある人が物置に隠したのではないかと思われます。
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現在は小川小学校の玄関の棚に大事に飾られている、青い目の人形。
戦争中心細く物置で泣いていたリトル・メリーは今は心静かに子供達を見守っている。
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最後に小川小学校の皆様、取材協力ありがとうございました。心より御礼申し上げます。

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コメント(2件)

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スポッツ様、こんばんは。
小川小学校の青い目のお人形さん、心ある方に隠してもらってよかったですね。お人形さんの話をきっかけとして、子どもたちにも戦争について考えてもらえるような気がします。それと、童謡館へはまだ行ったことがないので、行ってみたいと思います。足湯もついでに・・。兎
本や兎
2008/02/04 00:11
本や兎様、こんばんは。小川小学校の青い目の人形を隠してくれた人に感謝しなくてはなりません。こういった逸話を元に戦争の怖さとか知ってもらえると良いですね。
童謡館、お越し下さいませ。蔵書などは係りの人に話していただければ大体、閲覧できると思いますので宜しければどうぞ見て下さいませ。
近くの鶴の足湯、結構温まりますよ♪
スポッツ
スポッツ
2008/02/04 00:52

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