峠の茶屋・かぐらばのまほろばの里・・・いわき市渡辺町
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作成日時 : 2008/03/02 02:44
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前回に引き続き、1月27日の事。小浜へいく前に戊辰戦争絡みで湯本町と植田町の間にある渡辺町にある新田坂の「峠の茶屋」を探しておりました。しかし場所がわからず「恵比寿屋」さんというお店で道をお聞きしようとした所、地元の消防団の方達がおり親切に案内していただける事になりました。車の後につき植田ー泉間にある常磐線のトンネル真上付近まで移動。そこから消防団員のお一人で渡辺町の町おこしのメンバーでもあるらしい大竹さんに峠の茶屋まで案内して頂きました。ちなみに渡辺町側からの入り口はこうなっています。新田峠は近くにあった新田宿と植田の中間にある江戸時代の浜街道の難所の一つで、「伊能忠敬」、「祐天上人」達や泉の殿様などもかって通り抜けた場所です。かって戊辰戦争においていわき三藩(平・湯長谷・泉)、仙台藩、相馬藩、会津藩(純義隊)、そして遊撃隊の林忠嵩らが官軍を一時食い止めた所でもあります。そういえば、林忠嵩や伊能忠敬は千葉の人、祐天上人は成田山へ居た事もあり又、湯本町(当時は湯本村・湯本宿ですが)には千葉の豪商が滞在したりとか千葉県といわきは結構、縁がある様な気がします。
さて植田側からの新田坂(峠)の旧入り口この道は10年ほど前に地元の有志の方達が整備して地区の方達と散策したという事です。詳しく聞きませんでしたが今でも年2回くらい渡辺公民館をスタートして中釜戸や新田峠を散策しているらしいです。かって、磐城側の兵達はここに砲台を築いて戦いました。最終的には薩摩兵などに三方から挟まれ落とされ、最後まで踏ん張っていた遊撃隊の林忠嵩はあやうく命を落としかけます。幕末、戊辰戦争において脱藩して、しかも最前線で戦った殿様はこの木更津の請西藩の林忠嵩、唯一人でした。磐城の戊辰戦争については勿来で話が止まっているので近い内にアップします。大竹さんに案内してもらい、「峠の茶屋」へ。峠の茶屋には人が住んでいた訳ではなく営業時間の間だけ新田宿から通っていた様です。実際の場所は、たぶんここだろうという場所に復元されました。ここでは磐城平藩へ応援に来た相馬中村藩の十八歳の若い侍「小野田八郎」もここで討ち死にしています。茶屋より少し上に行きますとマリンタワー等(写真は望遠)が望めます。大竹さんと歩いている間に渡辺町のまちづくりの中心メンバーの遠藤さんのお話を聞き、土地の歴史に詳しいという遠藤さんのおこなっている炭焼き・陶芸などの「かぐら場のまほろばの里」を訪れる事にしました。町に下りると畑の向こうに看板が見えました。かって新田宿が形成された江戸時代初期の頃、近くに清水村という所があったそうですが住民は全て新田宿に移動して消滅してしまいました。そんな云われのある場所にまほろばの里はあります。説明の立て札が倒れていたのは気にしない。途中の竹林がいい感じです。この、まほろ場の里にはいわき市のあちこちから参加者があり活気がある様です。道路から見えた場所は炭焼きで、こちらの奥にある場所は陶芸用らしいです。そういえば、なんとなく遠藤さんの写真を撮りそびれてしまいました。やはり歴史には詳しい方で戊辰戦争絡みのお話なども良く御存知でした。なんでも温度の低い炭焼きから温度が高めの陶芸へと来て、次は更に高温のタタラ(製鉄)づくりへと進んでいく予定との事でした。その節は、又取材をさせて頂こうかと考えています。
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