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zoom RSS 運命はグルグル回る(湯本の殿様と真田の姫様の鐘)

<<   作成日時 : 2009/12/31 23:30   >>

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常磐湯本町の西にある湯の岳と言う山は、温泉神社の御神体でもあります。
奈良・平安時代の僧「徳一」によって、頂上に観音堂が作られたのが始りだそうです。
戦国時代まで、この地を治めた岩城家によって梵鐘が奉納されていましたが、火災で失われ、江戸時代になってから、湯長谷藩内藤家初代藩主・遠山政亮と、内室である真田の姫の夫婦により新たに寄進されました。
その後、神社は湯本町へ移り、鐘は山の麓の「法海寺」に治められました。
夫婦による寄進から300年以上が経ちましたが、鐘は今も現役です。
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                                                                    @磐城平藩・湯長谷藩と真田家の関係   
ところで、何故真田の姫が湯本の殿様と結婚したのかと言うと、どうも湯長谷藩の本家磐城平藩(後に延岡藩)内藤家のお屋敷と松代藩真田家(真田幸村の兄・真田信之興した藩)がお隣同士で在った事が大きい様です。

又政亮の叔父は保科正之で、保科家も真田家とは縁があり、政亮の父・内藤忠興は大阪夏の陣に参加した際に、真田幸村の活躍を見ていた事から、真田家に惚れ込んでいたのかもしれません。

息子の政亮の妻の真田の姫は、松代藩真田家三代目・真田幸道の姉に当たり、真田家のお家騒動の際には、磐城平藩も介入し、決着の後は幼少の幸道を養育しております。反対派から身を守る為と屋敷が隣なので色々都合が良かったのでしょう。
大名は基本的に成人するまでは、江戸住まいなので、幸道は磐城には来ていなかったと思われますが正確な事は分かりません。
当時は、武田家正当後継者(信玄の次男の系統で、信玄の曾孫と玄孫)を預かっていた時期なので、真田・武田の名門の養育、そして将軍家光の弟、保科正之との遠戚関係と内藤家としては、もっとも華やかな時期だったでしょう。


A武田家滅亡と小山田家
武田・保科・真田と内藤家が縁を結んだのには、因縁じみた話が関係しています。

遠山政亮と兄で磐城平藩三代目を継いだ内藤風虎こと内藤義概の母は、香具姫と言い、その父は(諸説ありますが)武田家の家臣で信玄の従兄弟・小山田信茂でした。

小山田信茂は富士五湖一帯(郡内地方)を治める領主でした。
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又、真田の姫の曽祖父・真田昌幸は、信之・信繁(真田幸村)兄弟等の父であり、同じく武田家の家臣でありました。

二人が仕えていた武田家は、織田信長(実際の指揮は長男の織田信忠)に攻められ武田勝頼の代で滅びました。
勝頼は織田勢から逃げる際に、小山田信繁と真田昌幸から各々別のルートを勧められましたが、親族の信茂の案を取り彼の領地に向かった所、裏切りに会い織田勢に追いつかれ死亡しました。
もっとも昌幸の案を受けたとしても、そちらは北条氏と内通して勝頼を嵌めるつもりだったとの説もあり、どっちにしても駄目っぽかったようです。

B松姫と織田信忠の悲恋

さて、小山田信茂は、織田家の指揮を執っていた織田信忠に、甲斐善光寺で面会し投降しようとしていましたが、不忠の罪は大きいとして一族皆殺しの目に会いました。他にも裏切り者はいたのに、特にその処置は厳しいものでした。

推測ですが、織田信忠の元婚約者「武田松姫=信松尼」を、この戦で失った(と勘違いした)気持ちが、そうさせたのではないかと。つまり信茂はとばっちりを受けたという事になります。

松姫は海津城(後に松代藩真田家居城)生まれで、織田信忠との婚約・その自然解消を経て、兄の仁科五郎の居城・高遠城(後に高遠藩保科家居城)の城下へ身を寄せておりました。

信忠は、その事を知っていたのでしょう、破格の条件で仁科五郎に降伏を勧めましたが、拒否されやむなく城を落としました。この時に姫が死亡したと思い、気持ちが荒れていたのではないかと思います。


その頃、当の松姫は、武田勝頼の娘・仁科五郎の娘・小山田信茂の娘の香具姫の3〜4歳の姫君達3人を連れて八王子に逃走中でした。
後にそれを知った織田信忠は、使いを出し、自分のもとに松姫を呼び寄せようとしました。
すでに妻子はいた身ですが、正室の座は空けたままだったのです。
しかし、姫と会う前に、本能寺の変が起こり、信忠は死んでしまいました。武田家滅亡から、わずか3ヵ月後の話でした。

その後、松姫は、亡き父信玄と、信忠の二人の名をとり尼僧・信松尼となり、武田から伝えた養蚕で生計を立てながら3人の姫の面倒を見たのでした。

C 秀忠の隠し子 保科正之

後に、その美貌と武田の血統を欲した徳川家康が姫を側室にしようとしましたが、姫に拒否されました。別の武田の血を引く女性を迎える事で話しは決着し、松姫の姉・見性院が、家康と武田の血を引く5男・武田信吉の後見人となり、水戸藩武田家を興しましたが、信吉が急死し、10男・徳川頼宣が継ぎましたが彼の代で駿府藩へ領地替えとなり、後に11男・徳川頼房が新たに水戸藩徳川家を興しました。

武田家再興の夢がつぶれた見性院でしたが、今度は徳川幕府2代目・徳川秀忠の隠し子を預かり再び武田を再興しようとします。

その子の名は、幸松君(後の保科正之)でした。母、お静の方は、恐妻家の秀忠が唯一、浮気?した相手で、秀忠の妻・お江与の方の勘気を恐れ、相談を受けた見性院が信松尼に依頼し、お静の方を保護しました。
無事、生まれた子は7歳になった時に、見性院と親しい高遠城城主・保科正光の元へ預けられました。ちなみに正光の正室は真田信之・信繁(幸村)兄弟の姉でした。


後に保科正之は、内藤忠興の妹・菊姫を正室としました。忠興の側室で後継者を生んだのが、あの松姫に助けられた香具姫でした。

松姫に助けられた香具姫と保科正之は、義理の姉弟でもあった訳です。
D家光と内藤家
保科正之と菊姫の婚約に関しては、磐城平藩内藤家初代・内藤政長が3代将軍家光に気にいられていた事が大きいようです。
内藤家屋敷は、虎ノ門の近くにあり、一説によると屋敷にあったトラノオと言う見事な山桜から虎ノ門と言う名が付いたとか(諸説あり)。当時、屋敷に面して赤坂溜池という場所があり、家光が水練で度々寄ったのが内藤家でした。
その時に、弟の保科正之と政長の娘・菊姫の縁談話が出たのかもしれません。

E松姫の残した遺産
武田滅亡から始り、武田家家臣や武田の子孫が残した色々な物語の一つが、湯本の殿様と真田の姫様の残した鐘に繋がって行きました。
又、松姫が残した養蚕と姫を慕って集まった八王子千人同心は、やがて多摩の近藤勇や土方歳三そして沖田達への物語へと繋がり、姫が助けた保科正之の会津松平家は京都へ行き、そこで新撰組へと出会います。

ところで湯長谷藩の屋敷は、沖田総司の墓の向かいにあり、嘘か真か湯本町の温泉神社からは、沖田総司の辞世の句が出ていると言います。
これも松姫様の縁なのでしょうか。

湯本の殿様と真田の姫様の鐘から始った話ががごちゃ混ぜになり分かりずらかったでしょうが、除夜の鐘でチャラという事で(笑)
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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
スポッツ様、こちらにもお邪魔します。ちょっと見てないない間に気になる話題がたくさんアップされていましたね。
いわきは真田家ともつながりがぁ!?びっくりしました。戦国武将の中で真田幸村はかなり好きです。
法海寺というと毎年夏にお山駆けるお寺ですよね。湯の岳にあった鐘が今は法海寺にあるのですね。今度じっくり見てみたいです。
更に新撰組やら会津やらにつながるという・・・やっぱり縁ってありますね。年のはじめに良い話題でした。兎
本や兎
2010/01/06 20:41
本や兎様、こちらにもコメントありがとうございます。
いわきは、真田・武田・伊達・保科の有名大名とも色々縁のある所です。
秋田に転封された岩城家(亀田藩)は、佐竹家と兄弟藩ですが、色々あって亀田藩の三代目は真田幸村の孫にあたります。
磐城平藩二代目内藤忠興と共に、大阪城の管理に当っていた際には雷が落ち城が大破するという豪い目にあっています。幸村さんの雷だったのでしょうか・・。
地元の人が殆ど知らない話ばかりですが、調べていったら大きな運命の波というか、もう縁としか言いようの無いものが見えてきてゾクゾクしました。
長文をお読み下さりありがとうございます。
スポッツ
スポッツ
2010/01/06 23:39
僕、沖田総司の子孫なんですよ。
沖田家3代目
2010/03/06 16:12
沖田家三代目様、こんばんは。
総司さんの直系はいらっしゃらない様なので、姉様達の御子孫なのでしょうか?
とりあえず、6月の総司忌に出席して彼の墓前に行って参りますので宜しくです。
スポッツ
スポッツ
2010/03/09 22:16
本名を湯本と申します。こんばんは。
自分の家の家系が気になり調べ回っていましたらいろいろと繋がりがあるようで、驚き反面嬉しくあります^^
実際に家との繋がりがあるのかは謎ですが、真田のお姫様との鐘……素敵です。
素敵なお話ありがとうございました!!
一希
2010/08/04 22:44
一希様、こんばんは。
コメントありがとうございます。
湯本氏と言うと草津の方が有名様ですね。

地元の殿様に興味を持ち調べていったら色々な縁と繋がっており嵌ってしまいました。
色んな人が色んな所で繋がって歴史が作られるのが実感させられました。

こちらこそ、長い文章をお読み下さりありがとうございます。
今後も興味のある記事がございましたらお読み頂けますと嬉しいです。
スポッツ
スポッツ
2010/08/05 23:22
うちは元々延岡出身の真田家です。ご先祖様は延岡藩内藤家で家臣をしていたと伝え聞いております。
子供が産まれたのを期に、今まで興味無かった家のルーツについて少し調べていたらこちらに辿りつきました。
九州は菊池氏系の真田さんが多いので、六文銭の方々とは全く関係無いと思っていましたが、意外な所で間接的な繋がりがあると知り驚きました。歴史ロマンですね。
素敵なお話ありがとうございました。
37
2016/12/03 13:21

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