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zoom RSS 八橋会「ジュニアサマーコンサート」・・・いわき市勿来町「勿来の関公園」吹風殿(すいふうでん)

<<   作成日時 : 2008/08/22 09:05   >>

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お話を始める前に本のご紹介、「八橋検校」についての強力な参考書。素人でも分かりやすいお箏の歴史についての本でもあります。検校と京都銘菓「八つ橋」との関係、検校とはどんな職業?、パトロン「内藤風虎}って誰?「真田太平記」の真田家との意外な関係、全てが分かる「八橋検校十三の謎」釣谷真弓著・アルテスパブリッシング社発行・¥2,000(税別)いわき市で箏を学ぶ方には特にお勧め!

9月26日、真田家との縁戚部分を一部訂正しました。平安時代の和歌に読まれたり、江戸の文人達が俳句にも詠んだりした「勿来の関」。来るなかれと言った意味の関で「白河の関」、「念珠の関」と並ぶ東北地方への入り口・古代の関所があった所・・・と言うのが通説。
白河の関が白河藩藩主「松平定信」公により推定されたのと同じく、江戸時代に平藩内藤家により推定され桜の植栽をしたりして公園としての整備が進み、江戸時代の観光名所となっていた。かの「水戸黄門」こと「水戸光圀」が実際に訪れた北限が、この「勿来の関」であった。光圀自身は信憑性を疑っていながらも、この地自体は気にいっていたらしく三度程訪れている。
写真は、平安時代の武将「源義家」が勿来の関を通過する時に歌を詠んだという伝説に基づき建てられた像。
撮影機材 ios KissX2 &シグマ18-125o DC OS
画像はクリックすると大きくなります
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勿来の関を、この地に存在したと推定したのは「内藤 風虎」こと「内藤 義概(よしむね)」らしい。ちなみに風虎は「水戸光圀」より9歳年上。内藤家は初代平藩主「鳥居忠政」が平城築城を果たして出羽国(山形)へ国替えとなった後に平藩へとやって来た。ちなみに鳥居・内藤家は関ヶ原の前哨戦「伏見城」での戦いで討ち死にした大将・副将の家系。
平藩内藤家の中でも異色の存在だったのが「内藤 義概」だった。殿様としては駄目駄目な人物で、自分の小姓であった「松賀 族之助(やがらのすけ)」を家老にして藩政の殆どを任せてしまった。詳しい話は別の機会に述べますが、この為時代劇真っ青のお家騒動が起きています。反面、文化人としては一流、神社仏閣の整備にも力を入れたお殿様でした。「松尾芭蕉」デビュー(風虎の息子の露沾は芭蕉のパトロン的な立場にありました)のきっかけも作っています。

本題、その「内藤 義概」が江戸で生まれて、そのまま江戸屋敷住いだった15、6歳の頃(寛永年間の半ばの1635年付近)、「城秀」と言う20代の箏(こと)の奏者と出会いました。当道(当道職屋敷)と呼ばれる盲人の職能組織に属していた彼は、京都で三味線の名人として活躍していましたが故あって平藩へ召抱えられる事になりました。後に「八橋検校」と呼ばれた、この人物は「内藤 風虎」の金銭面の援助や八橋の作曲した十三組の組歌への作詞の協力を受けてその技術を完熟させて行きます。「八橋検校」は京都銘菓「八つ橋」や名曲「六段の調」(こちらはいわき市のみよし菓子店の六段最中があります)で有名な人ですが、生国については謎につつまれており、いわき市生まれが通説となっておりますが九州の小倉であるとも大阪であるとの説もあります。

又、信州松代には長野市の無形文化財として「八橋流筝曲」が残っています。これは真田家(真田幸村の兄、信之の家系)の末裔によって残されていたものですが、起源は「真田太平記」にも出て来る「小野のお通」の娘「小野宗鑑尼(お伏)」通称「二代目お通」が「八橋検校」から習ったものとされています。
検校と二代目お通の接点は「真田信政」の娘が「内藤 風虎」の弟で湯長谷藩(平藩内藤家分家)初代藩主「遠山政亮(又は頼直)」と結婚した所にあるようです。「真田信政」との間に「真田 信就(真田家分家、勘解由家の初代)」という子供をもうけていた「二代目お通」は京を離れることはありませんでしたが、「八橋検校」が当道の幹部クラスとなり本拠地のある京都へ住まうようになってから、お互いの内藤家との縁で出あったとも考えられます。その後、その技術は「真田 信就」が信州へ入った時に持ち込まれた可能性が高いと思われます。

余談ですが平藩内藤家は武田家とも縁戚になっています。風虎や政亮の妹(内藤家の養女?)と「武田信玄」次男の家系の人物(島流しから帰ってきた)が婚姻しており、その子供の家系は明治時代に武田家宗家になっています。当時、落ちぶれていた武田家を助けたのは風虎達の母が「武田勝頼」が最後に頼りにしたのに裏切った「小山田 信茂(不忠の罪で信長に処刑される)」の娘「香具姫」だったための償いだったのかも。
追記、武田家滅亡の折、武田の姫君「松姫」は自分の姪達2人と「香具姫」の3人(当時、3,4歳)を連れて、はるばる八王子まで逃れてきました。その後、松姫に育てられた恩が「香具姫」にはあったのかもしれません。

近代筝曲の祖であり、いわき縁の八橋検校の遺徳をたたえ結成された「いわき八橋会」はさまざまな活動を行っていますが今回2008年8月17日(日)勿来の関公園内にある「吹風殿(すいふうでん)」で子供の会員による初めての試み「ジュニアサマーコンサート」を行いました。 
吹風殿
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お客様には八橋会会員で茶道裏千家の「鷺宗桂」様達により、御抹茶とお菓子が振舞われました。
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ちなみに古来から使われていた琴は7弦で琴(きん)と言います。そして現在の物は13弦で弦の下にブリッジが入っており箏(そう)と呼ばれています。なので演奏も筝曲(そうきょく)と言われている訳です。
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小学1年生から高校3年生までの二十数名のジュニアメンバーにより演奏が行われました。曲は「七夕さま」や「めだかの学校」等の童謡から「ディズニーメドレー小曲集」や筝曲の基本かつ難易度の高い八橋検校作曲(又は完成させたとも)の「六段の調べ」等が奏でられました。ちなみに「六段の調べ」は初段から6段までの難易度があるようです。
体験学習で始められた子供さん。左は司会進行をしており八橋会の責任者「市井瑞子」様
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会員年齢が上がるにつれて技量も上がってきます。
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後ろで先生が心配そうに見守ります。
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場合によっては先生が脇に付いたりします。
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歌いながら演奏するものもありますが、やはり難度は高めです。
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グループ演奏(合奏)も息が合わないと難しそうです。
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会員の中には、三味線や尺八を演奏できる方もおり、見事な演奏を聞かせてくれました。
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最後は指導者と大会で入賞している高校生達による「月下美人」という現在の作曲家にのものによる華麗な曲が演奏されました。
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演奏後の吹風殿
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今年2008年11月16日には、いわき芸術文化交流館「アリオス」音楽小ホールにおいて「八橋検校日本音楽コンクール」が行われます。応募締め切りは8月20日まででした。
コンクールについてのお問い合わせは実行委員会事務局電話0246(25)9154まで
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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
スポッツ様、こんにちは。今日もすっきりしないお天気ですね。吹風殿にはわたしも桜の時期にまいりました。琴の演奏にぴったりな場所ですね(ちょっと窮屈な気もしますが)。歴史的な背景がわかると勿来の関の風景も、琴の調べもまた違ったものになりますね。兎
本や兎
2008/08/23 15:11
本や兎様、こんにちは。
すっきりしない天気で気温も下がっておりますので、兎様も体調にはお気を付けて下さい。
吹風殿は平安時代風で箏や能楽の演奏・演舞にはぴったりですが、確かにやや狭い感じがしますね。
色々調べて時代背景や関係した人物の事がわかり歴史のロマンというか、そんなものが箏の調べに深みを加えてくれた気がします。
そんな新鮮な驚きを楽しみながら偉人達の勉強をしております。
スポッツ
スポッツ
2008/08/23 17:23
(○゚∀゚)コンニチワ〜スポッツさん♪

スポッツさん、さすが〜^^
よ〜くお勉強していらっしゃるのが
解ります('∀'*)YO!

吹風殿、素晴らしい建物ですね。
北海道では雪の関係上、無理と思いますが、
なおさらこのような建物に憧れてしまいます。
京都が好きなのも、そのせいかも♪

お写真もクリアでスカッとしていて、
いいですね+.+゚d(´∀`*)グッ!
みぃ
2008/08/24 16:11
みぃ様、コンニチワ―((*´▽`o)o゛―♪
最近、嵌ってというか必要に迫られお勉強していたら少しだけ詳しくなり、その時代の雰囲気が分かってきた様な気がします。
吹風殿、冬場は寒そうなのであれですが色々な催しものには良い場所だと思います。秋なぞ良い雰囲気になるでしょう。
京都の古い建物、素敵ですよね〜。後、3週間程で京都なのでワクワクドキドキしています。
京都旅行用に買ったシグマ18-125oDC OSの写り中々いけてますので今や常用レンズになってしまいました。(´∀` )

スポッツ
スポッツ
2008/08/24 16:36
(*´・ω・)ノスポッツ様、こんにちは。
あの京都名物八橋の由来の方が箏の奏者だったことも知りませんでした。
そして、その方と内藤風虎との繋がり…。
スポッツ様のここ数回のブログを拝見して、日本史やいわきの歴史を勉強してみたくなりました。
知っている歴史上の人物や地名もありますが、知らないことが沢山。その時代がどんな時代だったのか勉強してからもう一度ブログを拝見すればもっと多くの気付きがあるように思いました。
図書館に「いわきの歴史」コーナーがあったので本を借りてこようと思います。
みそら
みそら
2008/08/26 21:42
みそら様、こんばんは。私の知識は必要に迫られて覚えた付け焼き刃みたいなものですが、なんとか偉人達の活躍していた時代背景が見えて来ました。今回、意外な所で湯本の殿様が絡んでいたのも驚きでした。
昔は歴史の事柄に絡まない土地柄と思ってたいわき市でしたが、そんな事は無くなかなか興味深い事がありました。当時の世相・事件、同時代の人物とかと合わせると又、色々なものが見えてきます。
スポッツ
スポッツ
2008/08/26 22:07
『八橋検校十三の謎』の著者の釣谷です。出版社から教えていただいてこのブログを拝見しました。本を紹介していただいてありがとうございます。ジュニアの発表会も行われ、八橋にもっとも所縁の深いいわきで箏曲が盛んであることがよくわかり嬉しいです。本にも書きましたが、松代や萩や京都など八橋に関係する土地がいっしょにイベントをやれるとおもしろいですね。次回からはニックネームでコメントしまーす。
釣谷真弓
2008/08/29 12:02
釣谷様、初めまして。「八橋検校十三の謎」の著者様自らコメント頂きまして驚きと共に感激しております。私も湯本温泉の冬場のイベント「いわきフラオンパク」で八橋検校を含む3名を紹介するイベントのための参考書的な本を探していた所、この本に行き当たりました。出版のタイミングもちょうどいい時期でございました。プログラムの交渉の為に知り合った「八橋会」等いわき市では若手の方が箏の勉強に励んでおります。
東京に住んでいる私の弟も箏を始めたとの事で何か縁みたいなものがあるのかなとも思っております。私も微力ではありますが、他の地域と連携できるような下地が作れればと思っております。
9月14日には京都を訪れ、八橋検校と袋中上人という方の墓所などを訪れ、その報告などをブログにアップする予定でおりますので、その節はよろしくお願い致します。
スポッツ
スポッツ
2008/08/29 13:23

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