いわき「じゃんがら」・沖縄「エイサー」、北と南の念仏踊り

お知らせ。エイサーの発生に関与したと言う、400年前のいわきの僧「袋中上人(たいちゅうしょうにん)」の生まれ故郷、いわき市常磐西郷町にある「能満寺」の虚空蔵尊祭りに、いわきのエイサー団体「いわき美らてぃーだ」がエイサー奉納を行います。
御祭りの日時 平成21年8月12日(水)午後6時より。7時半からの子供じゃんがら念仏踊りの後にエイサー。その後、花火と主催者、西郷じゃんがら保存会による奉納じゃんがら念仏踊りが行われ、8時45分終了。
夜店も出ています。
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基本、近くに駐車場がありませんので徒歩で起こし下さい。路上も含め、駐車スペースの確保が難しいです。この記事の中ほどにも祭りの様子が載っています





さて念仏踊りとは、ごく大雑把に言えば浄土教の空也上人に始まり、浄土宗の法然上人、時宗の一遍上人等が広め、各地の雨乞い・田植え踊り等の民族芸能と融合・進化、遊行の聖や漂泊の芸人により伝えられ、又枝分かれを繰り返し全国に広まった様々な形態を持つ踊りであり、盆踊りや阿波踊りなども念仏踊りの一種と言えます。

いわきにおいて独自の進化を遂げた念仏踊りが「じゃんがら念仏踊り」です。じゃんがらの名は、鉦や太鼓の音から来ているそうです。その基本的なスタイルが確立したのは江戸時代前半ぐらいらしく、現在では磐城(いわき)の隣国常陸(ひたち)の僧「泡斎」による念仏踊りがルーツと言う説が有力です。

又、笠踊りと言う踊りがいわきにあり、推測ですが「天邪鬼Mutchが観ている いわき」のMutch氏によると、これこそが泡斎念仏踊りの当時の形を残しているものらしいとの事です。

この他にも、怪談・累ヶ淵(かさねがふち)の怨霊封じでも有名な祐天寺の祐天上人(いわきの四倉町出身)によると言う説や袋中上人説等があります。

袋中上人は、江戸幕府開府の年1603年に、いわきを離れ、九州平戸から民間交易船で明(当時の中国)へ渡ろうとしますが、豊臣秀吉が明を支配するために行った朝鮮侵攻の影響がまだ残り明上陸は果たせませんでした。

仕方なく、民間船の交易ルートに従い、東南アジアを航海し、東南アジア一帯の海上貿易を行っていた琉球国へ上人はたどり着きます。
そこで琉球王「尚寧王(しょうねいおう)」や貴族「儀間真常(ぎましんじょう)」の帰依を得て、琉球における浄土宗の布教を行いました。この際、儀間真常や上人の世話人「てーらしかまぐち」達の協力を得て、難解な仏教を地元の言葉に易しくなおし伝えました。
この際、布教のために、念仏に節を付けた念仏歌が、琉球歌謡「エサオモロ」等と結びつき、漂泊の芸人チョンダラー(京太郎)によって広まりました。後に、沖縄の合コンであった毛遊び(もうあしび)等とも癒合したと思われます。

戦前までは、浄土宗の雰囲気を残していたエイサーも、戦後は創作系で大太鼓等も加えた華麗な雰囲気のものに代わりました。ただし現在でも昔の形態を残しているものは残っています。

袋中上人が琉球に伝えた浄土宗も上人が本土へ去った後に起こった薩摩藩の侵略により、浄土宗の僧が訪れる事もなくなり、寂れていきました。しかし、儀間真常が治めていた儀間村→垣の花地区、てーらしかまぐちの小禄(うるく)地区等に細々と教えは語り継がれていきました。垣の花が那覇に編入されてからはそれも途絶え、唯一小禄に教義が残り、太平洋戦争の前に京都「檀王法林寺」の(信ヶ原)良哉上人により、調査がなされ、袋中上人から儀間真常に贈られた数珠や、南無阿弥陀仏の名号、上人の使っていた鉦等も確認されました。
しかしそれも鉄の暴風雨と言われた凄まじい沖縄戦の中、数多の人命と共に消えていきました。沖縄の青い空の下、洞窟に逃れ暗闇の中、自決したり、米軍の火炎放射器で焼かれる人達、断崖絶壁から飛び降りて命を絶つ人達と、当時の沖縄に住んでいた方は家族・親戚の誰かは亡くなるという地獄のような体験をしたのでした。

やがて沖縄戦も終わり、米軍占領の中、沖縄の復興は始まりました。沖縄の人に欠かせない三線も米軍の補給物資の空き缶から「かんがら三線」を作り出しました。
写真はこちらから頂きました


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その音色は沖縄の人の希望を乗せて奏でられたのです。
復興が更に進むと、エイサーの大会も始まり、戦前とは違うタイプの華やかでダイナミックな創作エイサーも発生しました。

現在では全国にエイサーの愛好団体が増え、新宿でも「新宿エイサー祭り」が開かれるようになりました。
エイサーに縁のあるいわき市にも、吸い寄せられるように沖縄や八重山出身の人達が集まり、三線の愛好団体「南風(ぱいかじ)」のもとに、いわきの沖縄好きの有志があつまり、2年程前にエイサー団体「いわき美らてぃーだ」が立ち上がりました。
顧問に八重山の宮良(みやら)さん。そして、リーダーに安次嶺勉成(あしみねかつなり)さん。

安次嶺さんは、もともと、いわきと沖縄の繋がりを知っていたわけでもなく、大学卒業後、就職のために、たまたまいわきに移住する事になりました。
私も安次嶺さんも最近まで気が付きませんでしたが安次嶺とは、あの袋中上人の教義を伝えた小禄地区にある場所をルーツとする名前だったのです。
安次嶺地区は、昔から念仏や古い芸能を伝え残していたところでした。
が、沖縄戦の際、日本軍の塹壕や飛行場があったことからやはり激戦地となり、戦後は土地の多くを米軍に接収されました。現在は立ち入り可能の場所もあるようです。
*沖縄から安次嶺さんのお父様が安次嶺家・宮坂家の結婚式(9月13日)を控え湯本にいらっしゃっていたので、色々お話をお聞きしました。
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那覇空港のある鏡水地区は、元々は垣の花地区と小禄地区の一部であり、又「ゆいレール」の空港駅から赤嶺駅付近までも安次嶺地区であり、沖縄へ来た人達は知らず知らずのうちに、エイサー縁の土地を通っている事になります。

さて話はいわきに又、戻りますが去年までは8名程であったエイサー演舞もメンバーの数が増え(20名オーバー)、だんだん形になってまいりました。
同時に今年は、いわき市のイベントへの出演回数も増え、じゃんがらとの共演も多くなりました。
今回は、7月20日に小名浜のアクアマリンパークで開かれたじゃんがら・エイサーの共演を紹介いたします。
私、仕事の合間に来た為に午後からの部を紹介いたします。
いわき美らてぃーだのお出迎え。
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それにしても一年はあっというまに過ぎるものです。
去年、赤ちゃんだった子が、もうこんな感じ。
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今回のアクアマリンパークのエイサー&じゃんがらの公演には、いわき市観光物産センター販売課 課長補佐の小玉様の頑張りがありました。私が去年、いわき美らてぃーだのメンバーに出会えたのも小玉さんのおかげです。
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会場の設定、準備、交渉、司会を殆どお一人で行っており、頭の下がる思いです。この場を借りましてあらためてお礼申し上げます。

さて、まずは、じゃんがら念仏踊りからです。最近では女性チームも珍しくなくなってまいりましたが、年齢層でいうと、この「桜つつじ会」が一番若いかもしれません。湯本高校のOBによるじゃんがらチームのようです。
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太鼓を見ると分かりますが、浄土宗系である名残りで「南無阿弥陀仏」の名が書かれています。
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盆踊りが、念仏踊りの一種である事が、ここらへんからも想像できます。
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他にもじゃんがらは何チームか出ておりましたが、こちらは平菅波青年会。袋中上人縁のお寺「菩提院」さんや安藤信正公の菩提寺「良善寺」にもじゃんがら奉納しております。
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順番的には中間でしたが、今回の記事の主役クラスなので最後に紹介。
いわき市のエイサー団体「いわき美らてぃーだ」、去年と比べメンバーが倍以上に増えました。

去年
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手前右が、リーダー安次嶺さん 奥の右が宮良さん。
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いわき美らてぃーだの立役者、猪狩(いがり)さん。いわき市四倉の人だが沖縄とエイサーに惚れ込み、独学で10年程エイサーを学び、現在の中間達と出会い、手探りで苦労しながら美らてぃーだのエイサー振り付けに努力した方。ちなみに左奥の鈴木さんも沖縄生まれで現在いわき市に住む、美らてぃーだの初期メンバー(特技・縁結び)
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こちらは阿部さん。木工関係のお仕事をなさっている方。仲間に頼まれエイサーの道具のミニチュアやネームプレート・積み木なども製作している。湯本町のA家食堂ドアのシーサーオープン札も彼の作品。
私も、世界に一つだけのは・・し(箸)を製作してもらいました(作品はいずれ紹介します)。
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背中も格好良い。
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他のメンバーも気合入っています。
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最後に記念撮影。
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いわき美らてぃーだは発展途上中、どこかで見かける事があれば応援してください。
三線・エイサーにご興味があり見学・入会希望の方連絡は 安次嶺まで
 ✉k_ashi@h.vodafone.ne.jp








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この記事へのコメント

ベンチバカ→刻人
2009年08月07日 21:30
スポッツ様、こんばんは。

またまた、改名しまして刻人(こくんちゅ)になりましてすいません(^_^;)

待望の日記更新、今回は読み応えありましたね。美らティダの写真いっぱいあるし、僕の紹介もあり恐縮です!(^^)!

いわきと沖縄の歴史の繋がりを分かりやすく説明されていてちょっとした授業を受けたようで得した気分です。。

昨日、平七夕でエイサーチームは完全燃焼してきました。ゲリラも含め5回の演舞、お客さんの数も多く踊っていて楽しかったですよ。

来週の能満寺での演舞本当に楽しみです。
当日は宜しくお願いします!(^^)!
スポッツ
2009年08月08日 07:23
ベンチバカ改め刻人(こくんちゅ)様、おはようございます。
休日なしで仕事に追われ更新が大分遅れてしまいました。
小名浜でのエイサーも大分気合が入っていて格好良かったですよ。
いわきと沖縄の繋がり、自分なりにまとめて見ました。御覧下さりありがとうございます。
植田や平七夕での演舞もご苦労様でした。
袋中上人の生誕地でのエイサー奉納を楽しみにしております。
では当日にお会いいたしましょう。こちらこそ宜しくお願い致します。
スポッツ
本や兎
2009年08月11日 22:49
スポッツ様、こんばんは。
遅くにおじゃまします。海バックのエイサー、やっぱり、いいですね~。鮮やかな衣装が映えます。そして、動きがあるのに、よく撮れますね。スポッツ様には次の動きがわかるからなのかな。私は明日、双葉の方にじゃんがらを見学に行ってきます。でも、写真は無理だと思います。兎
スポッツ
2009年08月13日 09:35
本や兎様、御返事遅れましてすみませんでした。
エイサーのバックに青い海と空は本当に合います♪
美らてぃーださんの衣装は勢いで決めたものらしいですが、鮮やかな原色と紅型の組み合わせが美しいです。
エイサーの動き、結構早いので、やはり数写すして対応しています。
でも少しは慣れてきたのかな・・。
兎様、南限のじゃんがらを見てこられるのですね、羨ましいです。
スポッツ

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